数字に囚われる人間
こういうブログでも読者数、アクセス数とか「数字」ってものがあるじゃないですか?今の時代なら動画の視聴数とか登録者とか。
仕事やら活動に影響が出るのもあるし仕方がない部分もあるけど、そんな皆数字を気にしてるのかな…。
前にある方が長く続けてても見てもらえない的な話をしてた事があった。でも元は書きたい事を書く為に始めたわけで、誰かに見てもらう為に始めたわけではないでしょ?結果的に誰かに見てもらえたら嬉しいよね!って話で。
どうして数や他人基準になってしまうのか…。
自分はいつか誰かが見てくれたら良い!見られなかったとしても行動してる事に意味があると思ってるから、基本敵にやる事は何も変わらない。少し強がりも混ざってる笑
どうしても多くを求めてしまうのが人って事なんですかね。
全て自分中心で生きて行ければ良いですけど、色んな意味でそれは無理だとわかってる。わかってるからこそ今回みたいな事を考えて書いたんでしょうね。
アクセス数が1あっただけで喜ぶクセによく言うよね笑(←これは見なかった事にして下さい)
BLEACHとしばしお別れ…
1クール目が終了!元からこういう放送形状になるのは知ってたけど、いざその時が来ると寂しくて困る!これでまた来年の夏まで待ち続けないといけない事に…。その日まで一体何をして過ごせば良いのか…。大袈裟
昔からドラマ(海外)、映画、アニメとか動画が大好きで一度見始めると体がしんどくなるまで見続けてしまう人間だから、好きな作品がお休みとか終わってしまうと喪失感が凄い事になります。
ありません!?見始めた時は楽しくて早く見たくてテンション上がるけど、段々終わりに近付くと寂しくなると言うか心が落ち着かないみたいな事。
あの感情って一体何なんだろう。
最初から終わりがある事を誰もがわかってるのに、最初と最後で全く別の気持ちになるって不思議。何なら全◯◯話とか記載されてる作品もあるのに。
他の物に例えれば食べ物が近いと思うんですけど、食べ終わる頃に「もう無くなってしまう」「後これしか残ってない」とは思う。でもそれが寂しいという感情じゃない。
動画の場合は作品がこの世から消える訳ではないのに、胸がキュッ!とするような想いを抱える事になるから悪い意味ではなくモヤモヤする。
だからと言ってずっと続くのも考えものだけどね…。
24やスーパーナチュラルという海外ドラマ知ってます?結局見てましたけど途中からいつまで続くんだろう?って一時離れた時もありましたからね笑
シーズンが進むと「あのストーリーどんなだっけ?」「あの人誰だっけ」みたいな事になり、前シーズンを見直すパターンもたまにある。
終わりがあるからこそ始まる良さがあるって事ね?これは…。
大好きなアニメの一つ…
幾つかある大好きなアニメの一つ「BLEACH」
あの作品の世界観と言うか雰囲気と言うか…凄く響く物があって、それが昔からずっと変わらずに今もある。
昔から好きな物は何?と聞かれた時、食べ物を答える方、人や動物で答える方が居ますけど自分はBLEACH(アニメ・映画等の映像作品では)が先に出るくらい。
BLEACHが連載とかアニメでやってた頃だったかな…鬱病になったのは。だから余計に記憶に強く残ってます。色々辛かった生活の中で楽しみという支えになってくれた。
ずっと見てて連載、アニメ放送が終了した時は寂しさもあったけど、それよりも何か悔しさみたいな物がありました。
多分その悔しさの正体は、楽しみで支えでもあった物が終わりを迎え後の自分がどうなるかわからなかったから。人って何かを失った時の精神的ダメージは大きいですからね。
たかがアニメで?って思う人は当然居るでしょうけど「楽しみ」「支え」なんて決まった形は無いし、他の人には理解出来ない部分もありますよね。
話はちょっと変わりますが、現在BLEACHの続編で最終章に当たる「千年血戦篇」が今年10月から放送している。
いつかアニメ化してくれる!と思いながらも期待は薄かった千年血戦篇がアニメ化するとは思ってもなくて、発表された時は「まだ死なないで良かった笑」と思った。
生活の中にまた見える色が増えた事に感謝の気持ちでいっぱい!
最新話では大好きな◯◯◯さんが死んでしまってショック…。原作知らない方にはネタバレになるから書かないけど、でもそのお陰で◯◯は…。
早く来週にならないかな。
鬱病について
今日は「自分の鬱病について」少し話したいと思います。
いつも書こう!って思うと何処から何を書いていいかわからなくなって、時間だけが過ぎて行く。今度こそはそうならないようにしないと!(これが公開されてるって事は今回は無事書けたようです笑)
初めて鬱病と診断されたのは17歳か18歳の時で高校も辞めました。人間関係で病んで鬱病になったんでしょうね。他には思い出せない。
自分でも大変な状態だと思ってたけど、何より周りが「これはマズい…」という空気になって病院に行く事になった。
幼馴染みが鬱病だったから、鬱病と診断されても驚きもしませんでした。人間はこんな簡単に鬱病になるんだね!なんて他人事のように見てた部分もあったかもしれません。
鬱病になってから初めて辛い!と思ったのは、体調じゃなく交友関係が全て崩れた事。
人が自分の元から去り行く時って一瞬。声をかける時間さえ与えてもらえない。
当時何で交友関係が崩れたかを考えた時、全然わからなかった。病気になったから?学校辞めたから?
でも今なら何となくわかる。相手は自分を「友達」として見てたわけじゃなく、ただの「知ってる人」としか見てなかったんです。誰一人連絡くれた人居なかったですからね。彼女ですら…。
何より無理してまで付き合う必要なかった人達と付き合って、自分が疲れ果ててしまったんだと気付きました。
離れて行ったんじゃない…最初から居なかったんです。幻ってやつですね。今じゃそれで良かったと思ってるくらいです。
鬱病は誰でもなる可能性あるし、キッカケが何処に転がってるかわからない。だからちょっとでも自分自身で変な感じがしたら見逃さず、周りの人に話したり病院とか行ってみて下さい。大丈夫!と過信せずに心を大事にしてあげて下さい。
他の色んな事はまた別日に書けたら良いなと思ってます。
ねだった後にどうするか?
どうして人は「ないものねだり」をしてしまうのか?
ないものねだりをした所で、手に入る物や実現する事ってほぼ無いですよね。ないものをねだってるわけですし…。
ここでもう答えは出てる気がするんですけど、じゃあ何で?と聞かれたら「夢や希望を持ってるから」でしょうね…。それ以外にも期待や憧れもあります。※自分は!
取り敢えずないものねだりをした後、少しでも可能性があるなら手に入れる為の努力はしてみる。何もしないより何でもしてみる。
宝くじを買わないで「当たらな〜い」「どうせ当たらないし」って言うのと同じ。そりゃ買わなきゃ当たるわけないですもんね。
こうやってポジティブに書いてますけど、現実は口で言う程簡単には行かないのが「ないものねだり」そのものだという…。
透明人間になりたい
小さい頃から思ってたけど、透明人間になりたい。透明人間は能力じゃなくて薬を飲むんでしたっけ?
その透明人間になる薬5000円くらいなら払うんで(安っ)頂けませんか?
ちょっといやらしい事や悪い事を想像しちゃうけど自分の場合はそうじゃなくて、とにかく人の目を気にする必要が無くなるからですね。
でも買い物する時は困る…。それはまた考えるとして、最悪服を着てなくても髪の毛とかグチャグチャでも大丈夫っていうのが嬉しい。
銀行強盗があっても、人質にならず警察に協力出来る!例えば犯人がどんな人か?どういう状況か?を危険も無く確かめに行く事が出来ちゃう。
完璧な万引きGメンにもなれますね。目の前で見てても絶対にバレないし。
でも幽霊だ!って怖がらせてしまうから、透明になる時は「ただいま透明中」と看板置いておかないと。
こうやって妄想してると時間潰せるし楽しいし最高〜!………と思うじゃないですか?
実際は「なんて暇人なの?」と何だか悲しいような寂しいような気持ちになります笑
じゃあ妄想しなければ良いのに。